フェノロサ

フェノロサ

江戸~明治時代:1853年~1908年
ゆかりのスポット 法隆寺・薬師寺

日本美術にほれ込んだ、国宝や重要文化財制度の「生みの親」ともいえるアメリカの美術史家・哲学者。法隆寺東院伽藍や薬師寺の東塔を見るときには、予備知識として大事な人です。

25才でアメリカ→日本へ

アーネスト・フランシスコ・フェノロサは、日本でいえば明治時代に生きたアメリカの学者さん。もともとの専門は政治学や哲学だったみたいですけど、美術史家として知られています。25才のときに東大の講師として日本に来てから、日本・日本美術とのかかわりがはじまりました。

日本の文化財保護の立役者

フェノロサの重要ポイントは、京都や奈良の文化財をたくさん調査して、国宝や重要文化財の制度ができるきっかけを作ったこと。日本に来て日本美術にほれ込んだフェノロサは、明治になって仏教がたたかれて、貴重な仏像などがどんどん無くなっていくのにショックを受けて、調査員になります。その調査結果をもとにして、今の国宝や重要文化財の制度のもとになった法律ができました。

法隆寺救世観音の話は有名 薬師寺東塔は?

なかでもいちばん有名なのは、法隆寺東院伽藍の救世観音の「封印」を解いたことでしょう。長い間、お坊さんでも見られない「絶対秘仏」で、トビラを開けると世界が滅びる、とまで言われていたようです。フェノロサは、なんとか説得してカギを開けて(お坊さんはみんな逃げて行ったとか!)、くるまれていた布を取りました。今、年2回春と秋に救世観音を見られるのはフェノロサのおかげ、といってもいいかもしれませんね。

フェノロサ関係でもう1つ有名なのは、薬師寺の東塔を「凍れる音楽」とたたえた、というエピソード。ガイドブックなどにも出てくる有名なコトバですけど、フェノロサが言ったという証拠はないらしく、フェノロサのエピソードとしては怪しいようです。でも、フェノロサが薬師寺も調査したのは本当らしく、あの「名作」に魅せられたのはまちがいないんじゃないでしょうか。

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