源義経

源義経

平安時代:1159年~1189年
ゆかりのスポット 吉水神社・花矢倉・義経隠れ塔(金峯神社)

名所・伝説・物語のモデルなど、何かと話題の多い「青年武将」。吉野にもゆかりが深くて、義経について予備知識を入れておくと、吉野観光の幅が広がります。

「牛若丸」で有名な平家滅亡の立役者

源義経は、平安時代の終わりごろに活躍した武将。言わずと知れた、源頼朝の弟です。子供のころは牛若丸という名前で、京都の鞍馬寺に預けられて育ちました。その後、奥州平泉の藤原氏のところで過ごして、22歳のとき生まれて初めて兄頼朝と会います。頼朝によく協力して、平家滅亡の立役者でもあるんですけど、その後頼朝と仲が悪くなって追われる身になって、あちこち逃げ回ったあげく奥州で自殺に追い込まれた、といわれています。

鞍馬・平泉・吉野・・・・・・ゆかりの地が名所に

いろいろと話題には事欠かない義経ですけど、押さえておきたいポイントとしては、「物語のモデルになった」ことや「名所をたくさん作った」ことでしょうか。歌舞伎でいちばん有名といっても良さそうな「義経千本桜」から有名になった話も多いでしょう。義経が名所を「作った」わけじゃないですけど、鞍馬や平泉など、過ごしたり逃げ回ったりしたところがことごとく有名になっている感じ。

奈良での義経がらみの名所といえば、なんといっても吉野。頼朝に追われた義経は、静御前と吉野に逃げてきて、まず吉水神社に隠れました。重要文化財の書院には、「義経潜居の間」があります。しかしここも追われて、さらに奥へ。上千本の「花矢倉」では、家来の佐藤忠信が敵相手に大活躍し、金峯神社の「義経隠れ塔」にこもってここも囲まれて、それでも屋根を蹴破って逃げたとか。

歴史のロマン「義経北行伝説」

義経の伝説のなかで、現実離れしているけど「歴史のロマン」をいちばん感じさせるのは、「義経北行伝説」でしょう。実は義経は奥州衣川で死んでいなかった・・・・・・というもの。北へ逃げのびて北海道に渡り、さらに大陸にわたって、しまいには、なんとあのチンギス・ハーンになったというんです。「義経=ジンギスカン説」はともかく、北に逃げのびた説については各地に伝説が残っていて、さすが「伝説の義経」。

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