徳道
飛鳥時代~奈良時代:656年?~?
ゆかりのスポット 長谷寺・法起院
西国三十三ヵ所観音霊場を開いたといわれるお坊さん。山あいの名刹・長谷寺を開いたともいわれていて、長谷寺の歴史をひも解くと必ず出てくる人物です。
長谷寺の道明の弟子としてスタート
徳道は、飛鳥時代から奈良時代にかけてくらいの時期に活躍したといわれているお坊さん。兵庫県の出身で、有力豪族の出のようです。見た目のよさと賢さを兼ね備えたお子さんだったとか。若いころに両親を亡くして、そのあと、長谷寺を最初に建てはじめたといわれる道明(どうみょう)の弟子になって修行をはじめました。
「西国三十三ヵ所」を開いた伝説
徳道がやったというシゴトは伝説が多いんですけど、いちばん有名なのは、日本一歴史が古い巡礼のための霊場「西国三十三ヵ所」を開いたこと。観音さまをまつったお寺をまわるもので、奈良にも、興福寺南円堂や飛鳥の岡寺など札所があって、お遍路さんでにぎわっています。なんでも、徳道が病気で死にそうになったとき、閻魔さまと会って、三十三か所めぐりのご利益を教えられて、霊場を作るように言われてこの世に追い返されたとか。
長谷寺の「開山」 参道にゆかりのスポット「法起院」
もう1つ、歴史が深い花の名刹・長谷寺を開いたのも有名です。飛鳥時代、師匠の道明が境内西の丘に三重塔を建てて、奈良時代初めころ、徳道が東の丘に本尊の十一面観音をまつったのが長谷寺のはじまりといわれています。長谷寺では、道明を「開基」、徳道を「開山」と呼んでいるようです。「どちらも大事」というのを表しているようでもあるし、詳しいことが分かっていないから、という気もしますね。
長谷寺の参道途中にある法起院(ほうきいん)もゆかりのスポット。徳道をまつるお寺で、長谷寺の開山堂とも呼ばれています。狭いお寺ですけど、徳道の像をまつる本堂を中心に、法起菩薩になって飛び去ったときに靴を脱いだという「沓脱ぎ石」やお墓もあって、なかなか充実しています。長谷寺に行ったときは、忘れずに立ち寄りたいスポットです。