公慶
江戸時代:1648年~1705年
ゆかりのスポット 東大寺大仏殿・勧進所
戦や大風で雨ざらしだった大仏をなおして、大仏殿を再建するために一生をささげた人。今残っている大仏と大仏殿にかかわった功労者として、予習には欠かせない1人です。
13才で東大寺へ 雨の日に涙の再建決意
公慶は、江戸時代に活躍した東大寺のお坊さん。丹後国(京都府の北のほう)出身で、武士の出のようです。13才のときに東大寺に入ったとか。
公慶は、重源と同じく、一生をかけて大仏と大仏殿再建のために働いた人として有名です。せっかく重源が再建した大仏殿も、戦国時代にまた焼けて、「仮復旧」した建物も大風で壊れて、奈良の大仏さまはなんと50年も雨ざらし状態だったとか。東大寺に入ったばかりの公慶少年は、雨の日に大仏さまを見て、涙を流しながら再建を決意するのでした。
勧進に生きた後半生 最後は幕府動かす
37才になって、公慶は本格的に動きはじめます。奈良を中心に全国で、寄付を募る「勧進(かんじん)」にはげみました。「大仏についての講談をして宝物を見せる」スタイルが当たったのか、順調に寄付が集まったようで、まず大仏の修復は進んだものの、大仏殿をなおすにはまだまだお金が足りません。最後には江戸幕府を動かして、再建は無事完了。でも、見届けることなく公慶は江戸で亡くなりました。
公慶をしのぶ東大寺めぐり
今の大仏殿と中門・回廊などは、公慶が再建したものです。今、大仏殿と大仏を見られるのは公慶のおかげ、ともいえますね。大仏殿の西には、公慶が勧進のベースにした勧進所(勧学院)が残っていて、重要文化財の公慶上人像がまつられています。苦労が表れたリアルな像で、年に2日だけ見られます(有料)。