良弁

良弁

飛鳥~奈良時代:689年~774年
ゆかりのスポット 東大寺

東大寺の初代「いちばんえらい人」。東大寺のもとになったお寺の時代からかかわっていて、この人なくして東大寺の歴史は語れません。

若くして仏教の勉強と修行にはげんだエリート

良弁の出身地は、相模(神奈川県)とも近江(滋賀県)とも言われます。子供のころから、当時有名だった義淵について仏教の勉強をはじめて、なかなか優秀だったとか。勉強だけでなく、山にこもって修行にもはげんで、金鐘行者(こんしゅぎょうじゃ)と呼ばれたようです。

東大寺の初代別当・開山

良弁は、なんといっても「東大寺ができるのに貢献して、初代別当・開山になった」というのがポイント。幼くして亡くなった皇太子のために聖武天皇が建てた金鐘山寺(こんしゅさんじ)に住んで、そのお寺が後で東大寺になったとのこと。大仏の根拠になる華厳経の研究にもはげんで、大仏に貢献したので、東大寺の初代別当(いちばんえらいお坊さん)に任命されました。221代続く東大寺別当の、記念すべき1人目です。

東大寺を開いた人=「開山」とも言われていて、二月堂の下の開山堂にまつられています。開山堂には国宝の良弁僧正坐像がまつられていて、像が持っている持ち物は、実際に良弁が使っていたものとか。年1回、命日の12月16日だけ見られます。

鷲にさらわれた伝説も

良弁の生い立ちには、有名な伝説があります。生まれて間もなく鷲にさらわれて、今の東大寺二月堂前にある木の上に連れてこられたのを、義淵に助けられて、立派なお坊さんに育てられた・・・・・・というもの。その後、全国を30年間も探し続けたお母さんと、涙の再会を果たしたという話は、歌舞伎にもなっています。二月堂前にある杉の木は、良弁杉と呼ばれています。

Copyright(c) 2012 奈良旅プランヘルパー All Rights Reserved. Designed by o2BusinessTheme