行基
飛鳥~奈良時代:668年~749年
ゆかりのスポット 東大寺
数えきれないほどのお寺やため池などを作って、民衆から熱狂的に支持されたお坊さん。大仏にも大きく貢献した人で、東大寺と大仏について知るには欠かせない人物です。
民衆のための「社会事業」に生きたお坊さん
行基は、大阪の堺出身で、奈良時代に大活躍したお坊さん。病気の人や貧しい人など、民衆のために「社会事業」をしたということで、行基菩薩とも呼ばれています。奈良に行ったことがある人は、近鉄奈良駅前の噴水のまん中にある像を見たことがあるんじゃないでしょうか。
行基の重要ポイントは、とにかく「社会事業」をたくさんやった、というところ。関西中心に相当な数のお寺を建てたほか、ため池や溝・堀・橋など、農民が生活するのに必要なものを次々に作っていきました。貧しい人のための宿舎や、病人のための施設も作っています。「民衆のため」という気持ちプラス、技術や人を動かす力も持っていた、ということでしょうね。
大仏最大の立役者
そんな行基はまた、大仏建立の最大の立役者でもあります。聖武天皇から資金集めを任されて、絶大な人気のおかげか、大成功したようです。その功績もあって、「菩薩」の称号が贈られたとか。東大寺では、大仏にかかわった「四聖(ししょう)」の1人とされています。聖武天皇とあわせて、東大寺と大仏見物の「予習」として押さえておきたいところです。
はじめは「危険人物」とされていた
ただ、はじめは国から「危険人物」と見られていました。民衆に人気がありすぎたし、民衆に仏教を広めてはいけない、という法律に違反したのも理由。ただ、そんな逆境にめげずに活動を続けて、民衆の「ファン」が増え続けました。ついにはその人気を無視できなくなって国も利用するようになって、最後には史上初の「大僧正」に任命されています。